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引っ越しします。


 少し気分を変えたいのでアメーバさんへ引っ越しします。

 読者の皆様には恐れ入りますが、http://ameblo.jp/mintelligence/ にお願いします。
# by masaya1967.7 | 2009-11-19 02:06

『アメリカ外交』を批評する。2


 さて、本題に入ります。村田教授が引用しているウォルター・ミードの本では、アメリカ外交のパターンをそれぞれ代表的な政治家の名前をとって4種類に分けています。1、ハミルトニアン 2、ジェファソニアン 3、ウィルソニアン 4、ジャクソニアン、となっています。

 私は、これらの考え方がお互いどういうふうに関係して、また将来はどのパターンが優勢になるだろうかという予想を行っているのかと期待しましたが、見事に期待は裏切られました。彼は「アイゼンハワーはジェファソニアンの典型である」というふうに最初から最後までどれにあてはめられるか分類しただけだったのです。

 そこで私はこれから村田教授の解説をかりながら、この4分類を用いてアメリカの外交を予想してみたいと思います。今回はまずハミルトニアンとウィルソニアンを解説して次に私がもっとも尊敬するジエファソニアンに進み、最後に日本人にとって最も厄介であったジャクソニアンで締めくくります。

 まずはハミルトニアンの考え方です。アレキサンダー・ハミルトンはワシントン大統領の初代財務長官でした。「この流れは北東部の利害を代弁して、国際通商のなかで発展するアメリカを想定」したと教授は書いています。これを一般日本人の馴染み深いキーワードにすれば「市場開放しろ」になります。

 次にウィルソニアンです。これは第一次大戦時の大統領ウッドロー・ウィルソンの考え方で「民主主義的な理念を世界に押し広めることこそアメリカの使命でなければならない」と村田教授は書いています。これはアメリカがよく使う「民主化しろ」になります。

 さて、このウィルソニアンとハミルトニアンは第2次大戦以前から中国とのかかわりが深かったのでした。イギリスの歴史家クリストファー・ソーンは中国とウィルソニアンの結びつきを次のように書いています。

 「ウィルソンの徒たちは、とくに中国をアメリカにならって幸福と繁栄の未来へと導きいれなければならない特別な後見人と考えていた。『アメリカ像が世界像を、そして間接的にアジア観を生んだ』のである。このような信念が生まれたのは1830年頃から中国でのアメリカ人宣教師の不屈の努力、とりわけ1890年から1920年にかけての彼らの熱心な運動に多くを負っている。」

 これらの人たちは、片岡鉄哉先生の言葉を借りれば、蒋介石政権がクリスチャン アンド デモクラティックになることを夢想したのである。当然彼らは中国をいじめていると思っている日本が大嫌いであった。

 さらに、ソーンは『満州事変とは何だったのか』でフーバー政権の国務長官であったヘンリー・スティムソンについて「『新ハミルトン主義者』と呼ばれる一派、すなわち、マハンやセオドア・ルーズベルトにならって、アメリカが力の行動によって国益を拡大する機会を歓迎した一派のかつてのメンバーであった」と書いています。

 1920年代の日本は中国のナショナリズムやそれに伴う「革命外交」に悩まされます。ウィルソニアン達に中国を抑制してと頼んでも無駄でしたが、この当時はウィルソン大統領を輩出した民主党は野党でしたので日本にはラッキーでした。そこで日本は力を用いてくれそうなハミルトニアンが多数存在する共和党政権にお願いしました。しかし日本は共和党政権からもノーと言われるはめに陥ってしまいます。その答えはスティムソン長官の次の言葉ではっきりします。

 「中国との交易は巨大な可能性を秘めていて、中国が近代文明への道を歩めば、それにともなって必要となった物資を供給できる」

 このように考えていましたから共和党政権が蒋介石政権に武力を使う事はほとんど考えられず、日本は孤立し、最後に怒った陸軍が満州事変を起こしたのでした。

 さて、現在の中国は「共産党独裁のもと豊かになりつつある」というハミルトニアンとウィルソニアンが対決する格好の場となります。オバマ大統領は現在中国に滞在していますが、もうほとんど結果は見えています。大統領は一応講演で人権問題には触れましたが、あまり深く追求するつもりはないのでしょう。クリントン国務長官も中国を訪問した時に人権問題には全く触れなかったため、アメリカの新聞から批判されていました。

 今日の『朝日新聞』に天安門事件の参加者を支援する弁護士が「人権を重視するはずの米国が力をつけてきた中国に何も言えない。失望した」と語っているのをのせていました。

 結果的に「理念」のアメリカは「強欲」のアメリカに敗れつつあります。この関係は日本に対して典型的に現れています。片岡先生は「占領下の日本は完全にアメリカの傀儡であったが、たったひとつアメリカが尊敬したものがあった。それは選挙に反映した民意である。アメリカは選挙にでる民意の前には必ず頭を下げる。日本は、これを使う以外にアメリカにノーという方法が無い」

 先生が指摘したように鳩山総理は選挙で選ばれてアメリカにノーと言ったのである。そしたらゲーツ国防長官に更に大きな声でノーと言われてしまった。現在のアメリカは日本の選挙の民意さえ考慮してくれない国になってしまっているのである。

 いったいウィルソンの理念はどこにいってしまったのだろう。

 次回はジェファソニアンについて書きます。

 
# by masaya1967.7 | 2009-11-18 03:27

『アメリカ外交』を批評する。1


 現在、村田晃嗣教授の『アメリカ外交』という本を読んでいます。この人はたびたびテレビに出ているのでご覧になった人もいるでしょう。筆者は正直言ってあまり好きではありません。『朝まで生テレビ』でこの人がアメリカについて姜尚中氏と議論しているのを聞いて、不覚にも姜氏の議論に納得してしまったくらいですから。田母神将軍が出ていた時も村田氏は罵声を浴びせていました。

 このような理由からこの人の本など読む気はさらさらなかったのですが、偶然アマゾンの書評欄で彼の本がアメリカ外交評議会のミードが書いた Special Providence を引用していると書いているのをみつけたのです。筆者もミードの本の分析力に感心した事があったので、どのような捌き方をしているか知りたくて購入しました。

 本題に入るまえに村田氏の書いている事に少し触れておきます。彼は「ソ連の軍事的脅威が消滅した直後に日本も経済的脅威でなくなったことは、長期的には、日本にとってむしろ幸運であったのかも知れない。」というような書き方をしています。以前このブログで日本の親米派の裏側にはアメリカに対する恐怖があるのではないかと指摘しましたが、この文からはアメリカに逆らわなくて良かったとしか読めません。さらに、

 「9.11のような攻撃を受けたとき、日本は今のアメリカよりもはるかに謙虚で国際協調的であろうか。戦前は軍事力の一面のみでアジアに覇を唱えて帝国を滅ぼし、戦後は経済力の一面のみで世界第2位の地位を手に入れてバブル経済に踊った日本である。」

 村田教授はこのようににアメリカの指導者の「苦悩」には思いを馳せるのですが、日本のやった事には全然思いを馳せないのです。上の文章に少し反論を加えておきます。日本のバブルが急激に拡大したのはアメリカで株価が大暴落した1987年のブラック・マンデーの後でした。この時日本は1985年のプラザ合意でおきた「円高不況」から立ち直り逆に景気が過熱したために、日銀は公定歩合を上げようと考えていました。ちょうどそのような時にブラック・マンデーが起こったのです。

 その時、日銀内部では公定歩合を上げようとする「国内派」とアメリカとの協調を重視する「国際派」の間で激しい戦いが行われて、結局は「国際派」の勝利に終わり公定歩合は低いままに据え置かれ、その結果バブルになったのでした。もし村田教授が当事者だったらバブルを起こさない為に「国内派」に味方しただろうか。おそらく絶対にアメリカ協調派についてバブルを起こす側にいただろう。このように彼の考える日本の歴史は本当に一面的なのである。

 なぜ近頃、村田教授のように「親米」で「反日」の学者が少しずつ目立つようになってきたのでしょうか。ヒントは彼の文章の書き方にありました。彼はよく次のような書き方をします。

 「アメリカを『帝国』と呼ぶ事は、アメリカのパワーに対する過大評価であり、アメリカと国際社会双方の複雑性と多様性に対する過小評価である」

 彼はこのような表現をよっぽど気に入っているのでしょう。『朝まで生テレビ』でも中身を変えて連発しているのです。実はこの表現をよく使っていたのが、京都大学の故高坂正嶤教授でした。筆者も以前に高坂氏の本を読んだ時にこのようなフレーズをいつか使ってみたいと思っていたので現在でも良く覚えているのです。

 私は高坂氏の本を数冊持っていますが、彼の主張はまぎれもなく「親米」ではあったが決して村田氏のように「反日」ではなかった。「親米」と「親日」のバランスがうまくとられていたと思う。それがなぜ可能だったかは日米共に「冷戦」を戦っていたからだった。そのお陰で日米の国益は一致し、「親米」と「親日」の共存が可能だったように思われる。

 ところが冷戦は終わり、日本とアメリカが一致した国益を持つ時代は過ぎ去っていた。クリントン大統領などは単独主義的に日本経済を攻撃したし、ブッシュ大統領はイラクに国際法で禁じられている予防戦争(preventive war)さえ行ったのである。しかし親米派はこのような無茶なアメリカの政策も弁護しなくてはならないという信念があった。そして気づいてみたらいつの間にか立派な「反日」になってしまったというわけである。

 現在保守派の間で何かと話題の多い五百籏頭真防衛大学長も以前は優秀な学者だったのである。『米国の日本占領政策』は立派な研究だと筆者も思う。しかし冷戦後、座標軸を失った彼は漂流し、いつしか「反日」の防衛大学長という世にも不思議な存在になってしまったのである。

 本題は次の機会に書きたいと思う。
# by masaya1967.7 | 2009-11-17 06:24

アーサー・ブラウンの提言


 このブログで何回か紹介しているアーサー・ブラウン元CIA東アジア部長が基地問題で今週の『週刊朝日』に語っています。

 「06年の日米合意は自民党政権下の過去の約束だ、と鳩山首相はオバマ大統領に言えばよかったのです。現にオバマ大統領だって、前政権がポーランドと協定を結んでいたミサイル防衛迎撃基地建設の中止を今年9月、発表した。その理由は至ってシンプルで、政権のチェンジです」

 すごく納得できる内容です。鳩山首相ははっきりとこのようにオバマ大統領に言ったのだろうか、多分言っていないのだろう。さらに普天間基地について、

 「もともと米国にとって普天間は優先順位が低く、『明日普天間が無くなっても困る訳じゃない』という認識です。話し合いの余地はまだあると思っています。」

 ブラウン氏は北朝鮮の問題について、金正日は核兵器を絶対放棄しないなどと今から見ても正しい事をずっと前から主張しています。どうも彼はアイヴィー・リーグを出たアメリカの典型的なエリートではなく、CIAの叩き上げで東アジア部長の職をつかんだようである。だからアメリカのエスタブリッシュメントが日本に言いたくない事を平気で言えるのである。

 前にも主張したと思うのだが、外務省や防衛相はブラウン氏を「顧問」という肩書きで雇ったらどうだろうか。彼は基地問題などの有力な情報を日本にもたらしてくれるだろう。
# by masaya1967.7 | 2009-11-17 00:59

保守派のアメリカ「恐怖」症


 私は日本の保守派が以前からアメリカの要求に対してなぜ嫌なものを拒絶できないのか不思議に思ってきました。今ではアメリカに対して異常な「恐怖心」を持っているのではないかと推察しています。

 産経ニュースの『政治デスクの斜め書き』というコラムで著者は鳩山首相が基地問題で右往左往する事に苦言をていし、もし日本がアメリカの基地問題を拒否すれば次のようになるといいます。

 「さきの大戦で日本は米国など連合軍に負けました。
 ひるがえって米国は、ベトナム戦争こそ一敗地にまみれましたが、基本的には日本と違って戦勝国のままであり続けていますし、自国の国益に反する敵対行為と判断すれば、かつての同盟国を名指しで批判もするし、制裁にも及びます。」

 このコラムの著者は基地問題を拒否する事でアメリカから「制裁」をくらうことを恐れているのです。日本は何かの国際法でも違反したのでしょうか。

 さらにこのコラムの著者はゲーツ国防長官が岡田外相に対して強硬な姿勢に出たことについて、戦後このようなアメリカから匕首をつけられた事があったでしょうかと述べて、

 「 『ハル・ノート』を思いだしました。ハル・ノートは米国のコーデル・ハル国務長官が日米開戦前夜の昭和16(1941)年11月26日、日本政府に突きつけた外交文書です。仏領インドシナ、中国からの撤退を要求する内容で、財務次官補だったハリー・ホワイトが原案を書きました。」

 日本は真珠湾の瀬戸際までおいこまれているそうです。このように日本の親米保守派はアメリカにさからうとすぐに日本に原爆が落ちてくると思っているみたいです。金正日を見習えといいたくなってくる。

 今思い起こせば、日本の1960年,70年代の左翼デモは「非武装中立」などの間違った概念を振りまきましたが、彼、彼女らには激しい「反米ナショナリズム」がありました。結果的に手段としては保守派の方が正しかったのですが、彼らは異常にアメリカに対して怯えていますので日本には「威厳」がなくなっているのです。
# by masaya1967.7 | 2009-11-16 01:22