鳩山一郎と河野一郎がソビエトに対して国後と択捉を譲渡して得ようとしたものは、高坂正嶤氏が言うように日本外交の「自主性」であったが、もっと現実的な問題を含んでいた。それは「利権」の問題であった。特に河野一郎は、農林水産大臣であり、北洋漁業の業界とは深い関わりをもっていた。北洋漁業は日ソ親善運動の中核でもあり金づるでもあった。それが河野をして日ソ問題にかかわらせたのである。
また、河野一郎は韓国との竹島問題でも重要な役割を果たすのである。『竹島密約』でロー・ダニエルは次のように書いている。 「領土問題の交渉を秘密裏に行い、その解決を棚上げしようと決めた事は、史上まれな出来事であるといえよう。さらにまれな事は、主に農林水産や建設畑を歩んだ河野一郎という政治家が裏のまとめ役をつとめたことである」 さて、韓国との竹島問題でも、日本の政治家の関心は領土問題よりも漁業問題であった。外務審議官の牛場信彦は「漁業問題を解決するために正常化しなければならないという空気が一番強かった」と語っている。 とくに重要なのは、河野一郎が「竹島は国交が正常化すれば、たがいにあげようとしても貰わないくらいの島」といっていることである。ここで疑問に思うのは日本の政治家、特に党人派の政治家は領土問題を軽視しがちなのではないかという問題である 鈴木宗男氏もせっかく日本で4島一括返還というコンセンサスが出来た後に、一方的に段階的返還に後退している。鈴木議員は社民党の辻本議員から「利権の総合商社」と呼ばれていたから、それを気にせずにはいられないのだ。 ちなみに片岡鉄哉先生が河野一郎について次のように描写しているのは、鈴木宗男議員との比較で非常に興味深い。 「彼は田中角栄に似て、身体は小さかったがエネルギーの固まりのような男だった。おしゃべりで、頭の回りと合点がはやい。友人には厚く敵には恐れられた。野次の名人でもあった。彼がだみ声でうまく野次ると、相手は度肝をぬかれて二の句がつげなくなることがあった」 あまりにも瓜二つである、だから彼の北方領土に対する手法は危険なのである。
by masaya1967.7
| 2009-09-12 10:59
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