満州事変と朝鮮問題


 満州事変を首謀した石原莞爾はその後現地軍が北支に親日政権を作ったりするのを否定的に眺めていた。そして、石原は日中戦争が拡大するのを恐れて「日本軍は華北をはじめとするシナ全土から撤退する。治外法権をはじめとするいっさいの権益をシナに返還する。さらにまた、シナが列強から権益を回復する運動にも、日本は全面的に協力する。シナはその見返りに満州国を承認する」という案を近衛首相に提案した。当初近衛はこの案に乗り気だったが、途中で挫折してしまう。(福井雄三『板垣征四郎と石原莞爾』)

 また、現在テレビで放送している『不毛地帯』のモデルとなったといわれる瀬島龍三も『大東亜戦争の実相』という本の中で、「陸軍中央部としては中央施策による満州事変の終末指導に全力を傾けるとともに、現地軍の北支工作をその理由のいかんを問わず断固としてこれを禁止し、長城以南の中国本土には一指も触れさせない強力な指導が必要でありました」と書いています。

 石原莞爾や瀬島龍三といった究めて優秀であった軍人が二人とも北支に関わった事を否定的に見ていました。では、何故現地軍は介入したのでしょうか。

 ヘンリー・キッシンジャーが『外交』のなかで、ロシアについて次のように書いています。

 「ロシアの勢力拡張が、モスクワの周辺地域から発して中央ヨーロッパや太平洋岸、ないしは中央アジアに及んだ為に、当初の安全の追求はやがて勢力拡大の追求に転化した。ロシアの歴史家ワシリー・クリシェフスキーは、この過程を次のように説明している。『これらの戦争はもとはと言えば防衛的なものであったのであるが、少しずつ、そしてモスクワの為政者からすれば意図しないうちに侵略戦争になった。言い換えれば昔の王朝の統一政策をそのまま継続すると同時に、モスクワの国家主権に一度も属した事の無い地域をロシア領とする為の戦いとなったのである』」

 これを簡単にして、日本にあてはめると次のような感じになります。最初、日本は自身の防衛のために朝鮮を併合します。朝鮮の安全を追求すると今度満州の不安定が気にかかるようになってきます。そこで今度は満州国を作ります。しかし満州が安定する為には北支の安定が必要になってくるのです。そこで現地軍は北支の介入を始めたのでした。結果的に日本の行動は「防衛」的なものから「侵略」的なものに変わったのです。

 私はロシアの行動が示す「大陸的」な安全保障観が日本が徐々に侵略的になった原因であったと考えています。決してフランクリン・ルーズベルトが言ったような「日本人の侵略行動はおそらく頭蓋骨が白人に比べて未発達である」からではありません。

 ところで、福井雄三氏によれば満州事変を引き起こした板垣征四郎、石原莞爾両名とも日本が朝鮮を併合した事を疑問に思っていたらしい。特に板垣征四郎は朝鮮軍司令官の地位にいた時に朝鮮のエリートに向かって「金君、朝鮮は近いうちに独立させねばならないね」と答えている。

 ここで根本的な疑問が起こってきます。もし、日本が朝鮮を独立させたままであったら、満州事変は起こったのだろうか?
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by masaya1967.7 | 2009-10-30 16:11
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