『アメリカ外交』を批評する。1


 現在、村田晃嗣教授の『アメリカ外交』という本を読んでいます。この人はたびたびテレビに出ているのでご覧になった人もいるでしょう。筆者は正直言ってあまり好きではありません。『朝まで生テレビ』でこの人がアメリカについて姜尚中氏と議論しているのを聞いて、不覚にも姜氏の議論に納得してしまったくらいですから。田母神将軍が出ていた時も村田氏は罵声を浴びせていました。

 このような理由からこの人の本など読む気はさらさらなかったのですが、偶然アマゾンの書評欄で彼の本がアメリカ外交評議会のミードが書いた Special Providence を引用していると書いているのをみつけたのです。筆者もミードの本の分析力に感心した事があったので、どのような捌き方をしているか知りたくて購入しました。

 本題に入るまえに村田氏の書いている事に少し触れておきます。彼は「ソ連の軍事的脅威が消滅した直後に日本も経済的脅威でなくなったことは、長期的には、日本にとってむしろ幸運であったのかも知れない。」というような書き方をしています。以前このブログで日本の親米派の裏側にはアメリカに対する恐怖があるのではないかと指摘しましたが、この文からはアメリカに逆らわなくて良かったとしか読めません。さらに、

 「9.11のような攻撃を受けたとき、日本は今のアメリカよりもはるかに謙虚で国際協調的であろうか。戦前は軍事力の一面のみでアジアに覇を唱えて帝国を滅ぼし、戦後は経済力の一面のみで世界第2位の地位を手に入れてバブル経済に踊った日本である。」

 村田教授はこのようににアメリカの指導者の「苦悩」には思いを馳せるのですが、日本のやった事には全然思いを馳せないのです。上の文章に少し反論を加えておきます。日本のバブルが急激に拡大したのはアメリカで株価が大暴落した1987年のブラック・マンデーの後でした。この時日本は1985年のプラザ合意でおきた「円高不況」から立ち直り逆に景気が過熱したために、日銀は公定歩合を上げようと考えていました。ちょうどそのような時にブラック・マンデーが起こったのです。

 その時、日銀内部では公定歩合を上げようとする「国内派」とアメリカとの協調を重視する「国際派」の間で激しい戦いが行われて、結局は「国際派」の勝利に終わり公定歩合は低いままに据え置かれ、その結果バブルになったのでした。もし村田教授が当事者だったらバブルを起こさない為に「国内派」に味方しただろうか。おそらく絶対にアメリカ協調派についてバブルを起こす側にいただろう。このように彼の考える日本の歴史は本当に一面的なのである。

 なぜ近頃、村田教授のように「親米」で「反日」の学者が少しずつ目立つようになってきたのでしょうか。ヒントは彼の文章の書き方にありました。彼はよく次のような書き方をします。

 「アメリカを『帝国』と呼ぶ事は、アメリカのパワーに対する過大評価であり、アメリカと国際社会双方の複雑性と多様性に対する過小評価である」

 彼はこのような表現をよっぽど気に入っているのでしょう。『朝まで生テレビ』でも中身を変えて連発しているのです。実はこの表現をよく使っていたのが、京都大学の故高坂正嶤教授でした。筆者も以前に高坂氏の本を読んだ時にこのようなフレーズをいつか使ってみたいと思っていたので現在でも良く覚えているのです。

 私は高坂氏の本を数冊持っていますが、彼の主張はまぎれもなく「親米」ではあったが決して村田氏のように「反日」ではなかった。「親米」と「親日」のバランスがうまくとられていたと思う。それがなぜ可能だったかは日米共に「冷戦」を戦っていたからだった。そのお陰で日米の国益は一致し、「親米」と「親日」の共存が可能だったように思われる。

 ところが冷戦は終わり、日本とアメリカが一致した国益を持つ時代は過ぎ去っていた。クリントン大統領などは単独主義的に日本経済を攻撃したし、ブッシュ大統領はイラクに国際法で禁じられている予防戦争(preventive war)さえ行ったのである。しかし親米派はこのような無茶なアメリカの政策も弁護しなくてはならないという信念があった。そして気づいてみたらいつの間にか立派な「反日」になってしまったというわけである。

 現在保守派の間で何かと話題の多い五百籏頭真防衛大学長も以前は優秀な学者だったのである。『米国の日本占領政策』は立派な研究だと筆者も思う。しかし冷戦後、座標軸を失った彼は漂流し、いつしか「反日」の防衛大学長という世にも不思議な存在になってしまったのである。

 本題は次の機会に書きたいと思う。
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by masaya1967.7 | 2009-11-17 06:24
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