久しぶりに面白い本を読んだので書評を書いてみたい。
清水美和氏は「中国が反日を捨てる日」で現在の中国共産党政権が一枚岩ではなく、胡キントウ主席には絶対的なパワーが無いことを説得的に描写している。日本嫌いの江沢民が在任中に行った数々の反日政策が実を結んで反日化した大衆を利用して自己の権力を拡大させようとしているとの説明は圧巻であった。 清水氏は中国の権力基盤が一枚岩でない以上、日本としては日本に強硬でない方を助ける為にある一定の譲歩を行って、彼らを盛り上げていかなくてはならないと主張している。現在の小泉政権の中国政策は強硬派を盛り上げることになるだけと批判的である。 私はこの結論には大反対である。ある権力機構が一枚岩でなくてその中で国際協調派と強硬派が暗闘を繰り返しているという命題はアメリカ人の外交分析においてよく見られる現象である。PLOのアラファト議長が存命のおり、彼はにっちもさっちもいかなくなった状態の時に穏健派のアッバス氏を首相に任命した。一部のアメリカ人はアッバス氏を応援しろと主張したが、あっという間に彼は辞任してしまった。 1994年の朝鮮半島の核危機においてもアメリカのセリグ ハリソン氏は北朝鮮内部においても強硬派と国際協調派が対決をしていると彼の著書「コリアン エンドゲーム」の中で主張していた。結果的には従来のアメリカの政策からみれば融和的だと思われる協定をクリントン大統領と金日成の間で結んでいたが、北朝鮮はすぐに違反している。 さらに戦前においても、アメリカは日本の政治状況を軍部と国際協調派に分けて分析し、幣原喜重郎を助けなければいけないと叫んでいたが、結果は皆さんが知っての通りである。 このように国内を強硬派と穏健派とに分けて穏健派を助けてその国の政策を穏健派に導けるという仮説が失敗したという事例は簡単に見つかるがそれが成功に導いた例を筆者は過分にして知らない。アメリカが成功していないのに日本が成功するという見通しは甘すぎる。 何故この政策がうまくいかないかは次のように想像することができる。もし日本が清水氏の言うように靖国参拝を自粛すれば一時的に日中関係はよくなるかもしれず、胡キントウの権力基盤が増すかもしれない。けれどもそれで反日的な江沢民派は黙っているだろうか。さらに過激な反日を繰り出してくるのではないか。結果はわからないが、中国のような大きな国の政策をどのように導くことができるかなどと大それた考えは行わない方がよい。 では日本の中国に対する外交はどのようにすればよいのかは、福沢諭吉がいったように「法と正義」から導いていかなくてはならない。果たして日本の首相の靖国参拝が「法と正義」の観点から批判できるのだろうか。もし批判できるならば中国の意向に関わらずやめればよい。私は現在までの議論において首相の靖国参拝が「法と正義」に違反しているとは思っていない。
by masaya1967.7
| 2006-02-10 05:07
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