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論理と前提条件 その3

 今話題になっている、オウム事件で死刑判決を受けた豊田亨被告の同級生、伊藤乾氏が書いた『さよなら、サイレント・ネイビー』を読んだ。このなかで気になったことがあったので書いてみたい。

 豊田被告の修士論文のタイトルは『ゲージ対称性の起源』というものであった。

 著者曰く、「君が女だってことを仮に、疑う余地無く認めるとしましょう。そうするとこれが<原理>になる。なぜ、とか問わないわけ。ゲージ対称性を原理と思う立場は、ゲージ原理を疑わない。君が女だという事実とおなじくらいそれは当然の前提として認めることにする、これが<原理>。」

 豊田被告は、修論のタイトルにあるようにその原理(前提条件)を疑ってみようと論文を書こうとしたのである。ところが東大の物理学科は卒論はないし、修論はレビュー(他人のやったことの追試)だけでいいのである。東大にオリジナリティーは全く必要ないのであった。その状況に豊田被告は絶望したみたいである。

 「関連の仕事で豊田のオリジナルのモデルの取り組みを指導してやる体制があったら、俺は確信あるよ、豊田はオウムにはいかなかった。」

 理論が本当に正しいかどうかは、その理論自体からは絶対導き得ない。前提を疑うことから真の科学が始まるのである。ところが社会科学の場合は往々に前提条件をすっ飛ばして論理を語ることが非常に多いと思う。そこでお互い何をしゃべってるかわからない『バカの壁』ができてしまうのである。
by masaya1967.7 | 2006-11-25 01:02
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