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6カ国協議「再考」

 南北朝鮮、アメリカ、日本、中国、ロシアで6カ国協議を開いて、北朝鮮の核問題を話し合うというモデルの先例になったのは、米ソ冷戦中の「ベルリン問題」にあった。キッシンジャーの『外交』には次のように書いている。

 「ソ連邦が支配する領域内に深く入り込んだ飛び地としてのベルリンの法的地位は、第2次世界停戦の4戦勝国に占領されているとの法的な擬制に基づくものであった。したがって、ベルリンに関する交渉は、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連邦によって行われる必要があった。したがってソ連邦の指導者とブラント(彼のきわめて有能な側近であったエゴン・バールを通じて)は、膠着状態を打開するための助けをアメリカに求めた。複雑な交渉の結果、1971年夏に4大国の新たな合意(ベルリン協定)が成立し、西ベルリンの自由と同市への西側へのアクセスが保証された。それ以降ベルリンは国際的な紛争地域のリストから消えたのである。ベルリンが国際的な問題として次に登場するのは壁が取り壊され、ドイツ民主共和国(東ドイツ)が崩壊したときである。」下巻 407ページ

 このように2+4という枠組みが出てきたのは、デタントの一環だったのである。そこで北朝鮮に核放棄の意思があり、さらに南進を完全に放棄するのならこのデタント戦略は意義あるものとなるのだが、現時点では韓国が北朝鮮に対して一方的に譲歩している。結局2+4の枠組みが真に有効になるのは北朝鮮が崩壊して南北統一が完成し周りの大国がそれを保障する時点においてではないか。
by masaya1967.7 | 2007-05-12 23:36
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