池田信夫氏のブログに次のようなことが書かれていました。
「英語の授業では、まともに発音もできない先生が小説を重箱モードで解釈し、1年かかって100ページぐらいの薄い教科書を読む。こんな教育をしていては、大量の英語の文書を読んで表現することは絶対にできない。国語や英語の授業は廃止し、英語はすべて語学学校にアウトソースして、大学入試の語学はTOEFLで代えるべきだ。」 数学を勉強することによって論理力は身に付くが、果たして英語を勉強することは池田氏の主張するように論理力を身につけることになるのでしょうか。 私は趣味でへたくそなギターを弾くのですが、ジャズやブルースにアドリブ(英語で言うところのimprovisation)を弾かなければならない時があります。決まったコード進行では弾いてはいけない音がルール上あって、そのなかでいかに表現できるかを追求するのです。このあり方は語学に通じるものがあると私は考えています。 この語学=音楽論は私の独創ではなく、あるテレビ番組で拓殖大学の森本教授がそのような関係性があるとしゃべっていました。台湾出身の金美齢さんは台湾語、北京語、日本語、英語をマスターされたマルチ・リンガリストですが、彼女が何故そんなに語学ができるのか聞かれて、「私は人より耳がよかったからだ」と答えています。 マーティー・フリードマンという日本を拠点に活躍されているスーパー・ギタリストはギターがうまくなるには「耳をきたえなければならない」といっています。ちなみに彼の日本語はほぼ完璧です。今回ノーベル賞を受賞した京産大の益川教授は英語ができないため大学院の入学が危なかったらしい。ノーベル賞を受賞している論理力抜群な人でも英語ができない可能性があるのです。(「音痴」にならって「英痴」) 私は工学部から法学部に編入したのですが担当教授はJ智大出身の人でした。さすがにJ智大出身だけあって、彼は英語ができましたが、書いている内容はそんなに優れていると思いませんでした。あまりにも英語を重視すると、英語はできるが肝心の学問がおろそかな教師が増えることのデメリットを感じるのです。 池田信夫氏のブログでは経済学の他に音楽のことも書いておられます。おそらく氏が英語ができるのも「耳が良いから」ではないかと私は考えてしまうのです。
by masaya1967.7
| 2008-12-05 10:32
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