2009年 09月 10日 ( 1 )

北方領土問題

 今月号の『正論』に櫻井よしこさんが北方領土問題について書いています。彼女が書いたことについて鈴木宗男議員が配達証明などの文句をつけているそうです。

 「いま、4島返還論の側に立つかのような印象を与える鈴木宗男氏は『4島一括返還』という言葉自体を『時計の針を逆に回すもの』と批判した。いわゆる段階的返還論を論ずる事で、鈴木氏もまた、日本側が2島返還でとりあえず問題の決着をはかる用意があるような印象をロシア側に与えたのであり、責任は重大だ」

 これに対して鈴木宗男氏は「4島返還という政府方針から、逸脱して交渉した事はありません」と答えているらしい。

 ここで私は北方領土問題を整理してみたい。実はこの問題がややこしくなったのは、鳩山一郎内閣時代にアメリカの介入がなかったら日本とソ連は2島返還で手を打っいた可能性があるからである。それが証拠に鳩山由紀夫が総理になる事がきまった時、ロシアはおじいちゃんが決めたようにしようねと、誘い水をかけているからです。

 1951年の時点で当時の吉田茂総理は「千島南部の2島、択捉、国後両島が日本領である事については、帝政ロシアもなんらの意義をさしはさまなかったのであります」と外務官僚出身らしく正確に認識しています。

 一方、講和条約を用意していたアメリカでは、日本に放棄させた千島列島の境界線をはっきり定義しないでおいたのである。これはどういう意味があるのだろうか。孫崎享氏は『日米同盟の正体』のなかで元駐ロシア大使の丹波氏の本から「1951年対日平和条約において、日本に千島列島を放棄させるがこの放棄させる千島列島の範囲を曖昧にしておけば、この範囲を巡って日本とソ連は永遠に争う事になり…」と引用している。

 また孫崎氏はマイケル・シャラーの本からも「千島列島に対するソ連の主張に意義を唱える事で、米国政府は日本とソ連の対立をかきたてようとした。実際既に1947年にケナンとそのスタッフは領土問題を呼び起こす事の利点について議論している。うまくいけば、北方領土についての争いが何年間も日ソ関係を険悪なものにするかもしれないと考えた」と引用しています。(『日米同盟の正体』79頁)

 残念ながら、日本は彼らアングロ・サクソン戦略家達の術中にもろにはまるのでした。

 続く
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by masaya1967.7 | 2009-09-10 07:31