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「一進会」と「脱南者」


 先日、日露戦争後日本に対等合併を求めてきた「一進会」について少し書きました。(ウィキペディアでは進歩会と書いてありましたが、間違いです)この団体は大韓帝国のなかで最大の団体でした。

 一進会はなぜ対等とはいえ日本に併合をもとめたのでしょうか。

 これを現在の日本にあてはめれば、日本のなかの最大の団体がアメリカに向かって「51番目の州」にしてくれと頼む事と同じくらい変なことなのです。確かに日本はアメリカの51番目の州だ、などと自虐的にいう人はいますが、本人が本当にそれを望んでいるとは思えません。

 この問題を考えている時に、兵頭二十八氏のブログに書いている事を思い出しました。彼は次のように書いています。

 「古田氏は『表現者』でこんな話をなすっている。――北鮮からの脱出者は2009年前半時点で16000人。満州や東南アジアに出たのを含めると数十万。しかし、韓国からの脱出者はすでに300万を越えているのだ。大半がアメリカに行って帰らない。これは「脱南者」なんである。」

 「一進会」と「脱南者」の問題は底辺でつながっているように私には思われる。それは韓国人が自国の政府やエリートに対して「絶望」しているということだろう。この「絶望」から逃れる為に「一進会」は日本に対等合併を求め、現在の「脱南者」はアメリカから帰ってこないのだ。
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by masaya1967.7 | 2009-10-31 00:43

満州事変と朝鮮問題


 満州事変を首謀した石原莞爾はその後現地軍が北支に親日政権を作ったりするのを否定的に眺めていた。そして、石原は日中戦争が拡大するのを恐れて「日本軍は華北をはじめとするシナ全土から撤退する。治外法権をはじめとするいっさいの権益をシナに返還する。さらにまた、シナが列強から権益を回復する運動にも、日本は全面的に協力する。シナはその見返りに満州国を承認する」という案を近衛首相に提案した。当初近衛はこの案に乗り気だったが、途中で挫折してしまう。(福井雄三『板垣征四郎と石原莞爾』)

 また、現在テレビで放送している『不毛地帯』のモデルとなったといわれる瀬島龍三も『大東亜戦争の実相』という本の中で、「陸軍中央部としては中央施策による満州事変の終末指導に全力を傾けるとともに、現地軍の北支工作をその理由のいかんを問わず断固としてこれを禁止し、長城以南の中国本土には一指も触れさせない強力な指導が必要でありました」と書いています。

 石原莞爾や瀬島龍三といった究めて優秀であった軍人が二人とも北支に関わった事を否定的に見ていました。では、何故現地軍は介入したのでしょうか。

 ヘンリー・キッシンジャーが『外交』のなかで、ロシアについて次のように書いています。

 「ロシアの勢力拡張が、モスクワの周辺地域から発して中央ヨーロッパや太平洋岸、ないしは中央アジアに及んだ為に、当初の安全の追求はやがて勢力拡大の追求に転化した。ロシアの歴史家ワシリー・クリシェフスキーは、この過程を次のように説明している。『これらの戦争はもとはと言えば防衛的なものであったのであるが、少しずつ、そしてモスクワの為政者からすれば意図しないうちに侵略戦争になった。言い換えれば昔の王朝の統一政策をそのまま継続すると同時に、モスクワの国家主権に一度も属した事の無い地域をロシア領とする為の戦いとなったのである』」

 これを簡単にして、日本にあてはめると次のような感じになります。最初、日本は自身の防衛のために朝鮮を併合します。朝鮮の安全を追求すると今度満州の不安定が気にかかるようになってきます。そこで今度は満州国を作ります。しかし満州が安定する為には北支の安定が必要になってくるのです。そこで現地軍は北支の介入を始めたのでした。結果的に日本の行動は「防衛」的なものから「侵略」的なものに変わったのです。

 私はロシアの行動が示す「大陸的」な安全保障観が日本が徐々に侵略的になった原因であったと考えています。決してフランクリン・ルーズベルトが言ったような「日本人の侵略行動はおそらく頭蓋骨が白人に比べて未発達である」からではありません。

 ところで、福井雄三氏によれば満州事変を引き起こした板垣征四郎、石原莞爾両名とも日本が朝鮮を併合した事を疑問に思っていたらしい。特に板垣征四郎は朝鮮軍司令官の地位にいた時に朝鮮のエリートに向かって「金君、朝鮮は近いうちに独立させねばならないね」と答えている。

 ここで根本的な疑問が起こってきます。もし、日本が朝鮮を独立させたままであったら、満州事変は起こったのだろうか?
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by masaya1967.7 | 2009-10-30 16:11

『朝鮮日報』について


 私は、『朝鮮日報』電子版をほぼ毎日チェックしているのですが、日本に関して優れた分析を見かける事があります。一方、無茶な「反日」記事を書く事も多いので読んでいて疲れる事もしばしばです。今回はこの事について分析したいと思います。以前書いた事と重複する事がありますが、ご勘弁願います。

 近代国家というものは同時に追求する事が難しい外交的な分裂を抱えています。一応これを「外交分裂」論と命名することにします。日本は明治以来、「アジア主義」と「親欧米主義」との分裂に悩まされてきました。日本はアメリカに戦争に負けたため「大東亜共栄圏」を放棄せざるを得なくなりましたが、今回鳩山内閣で「アジア共同体」が出現した事で、日本の「アジア主義」が死滅していなかったことがわかります。アメリカは退治した亡霊が蘇ってきた為に不安になっているのでしょう。

 またトルコという国は、軍人出身のケマル・アタチュルク以来、徹底的な欧化政策をとります。政治が世俗化から離脱しようとしたら世俗化を象徴する軍が介入したりすることを繰り返してきました。しかし冷戦が終わったころから変化し始め、ここ数年はAKPというイスラムを看板にする政党が政権を握っています。結局トルコ人は「欧化主義」と「イスラム」をどのように折り合いをつけるか模索しているのでしょう。

 韓国の場合は、どうも「日本」について分裂しているようです。一方では日本の事を高く評価するものの、もう一方には激しい憎しみがあるようです。私はこの分裂が日本が朝鮮を併合したことにより起きたものと思っていたのですが、もう少し時期が早かったようです。ウィキペディアの「日露戦争」の項目に次のような文章が載っていました。

 「大韓帝国内でも李氏朝鮮による旧体制が維持されている状況では独自改革が難しいと判断した進歩会は日韓合邦を目指そうと鉄道敷設工事などに5万人ともいわれる大量の人員を派遣するなど、日露戦争において日本への協力を惜しまなかった。一方、高宗や両班などの旧李朝支配者層は日本の影響力をあくまでも排除しようと試み、日露戦争中においてもロシアに密書を送るなどの外交を展開していった。」

 国家としての行動が完全に分裂しています。

 第2次大戦後、韓国が経済復興を成し遂げる時も、「韓国の経済界にとって、日本は生存と繁栄の源であった。当時、韓国の一流企業の社員が『海外出張』するといえば、大体は日本行きを意味した。政府主導の経済発展のパターンから、企業の組織までが日本から輸入され、『人の三井、組織の三菱』という言い回しは、『人の三星、組織の現代』に応用された。日本の商社やゼネコンがゼネコンが請求資金を活用してあらゆるところで工業団地やプラントを建設していた。韓国の未来を双肩に担う陸海軍の将校達が、関東軍参謀出身で、伊藤忠商事で辣腕をふるった瀬島龍三を部分的にモデルにした『不毛地帯』を軍人精神と経営手腕のバイブルのごとく愛読していた」とロー・ダニエルは『竹島密約』に書いています。

 このような雰囲気があるのであれば、日韓国交正常化は簡単にいったのだろうと誰でも想像するでしょうが、実際は韓国では激しいデモが頻発していた。ここでも韓国の日本に対する行動は激しく分裂しているのです。

 国家がこのように日本に対して分裂しているのですから、韓国を代表する新聞である『朝鮮日報』が日本に対する記事で分裂していない訳はありません。これからも『朝鮮日報』は一部では日本に対して素晴らしい記事を書くのでしょうが、相変わらずの反日記事を載せ続けるのでしょう。

 
 
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by masaya1967.7 | 2009-10-27 14:21

安重根


 昨日書いたブログで『朝鮮日報』の書いた記事を褒めたのに、今回はとても変な記事を書いています。安重根についての記事の中で牧野英二という法政大学教授が次のように語っています。

「安重根(アン・ジュングン)はテロリストではない。むしろ、日本帝国主義の韓国侵略を主導した伊藤博文をはじめとする日本政府の要人や軍人こそがテロリストだ。安重根は、これら日本のテロリストと、“テロ国家”日本帝国主義に対する“対テロ戦争”を起こした人物だ」

 バカ教授の典型的な「歴史無視」の言論です。

 当時の朝鮮が独立を達成するには、まず宗主国の中国との関係を正常化させなければならなかった。これは日本が日清戦争で勝利して下関条約で清に朝鮮の独立を認めさせたのである。

 次に、義和団事件の後にロシア帝国は満州に居座ってしまった。これは当時の朝鮮にとって脅威だったはずである。これも日本が日露戦争に勝利する事で脅威を除去したのである。

 この上で安重根は欧米の一部では「東洋のビスマルク」と呼ばれていた伊藤博文を殺してしまったのである。もしもこれで日本が朝鮮を併合する事がなかったなら、次のような文章が成り立つと思う。

 「日本は朝鮮を独立させるために清国と戦い、朝鮮の北方からの脅威を除去するためにロシアと戦い、あげくに明治体制の中心人物である伊藤公を殺されたが、日本は朝鮮に独立を与えた」

 おそらく、このような利他精神を持っているのは神か仏しかいないはずである。もちろん私は朝鮮を併合した事は日本の戦略にとって負の遺産をもたらしたと思っているが、この時点では、It is too late である。

 またこの記事の中ではチャン・ソクフン教授という人が、「安重根が構想した東洋平和論は、西洋の侵略に対し、東洋平和を維持しようとするなら、韓国と中国、日本の3国がそれぞれ独立する中で団結しなければならない、ということだ」と述べていますが、このような意見は特段目新しくもなく、勝海舟などもそのような意見を持っていました。

 特に福沢諭吉などは金玉均などの開化派を支え朝鮮の近代化に貢献しようとした。しかし彼らのクーデターは李朝にもろくもつぶされてしまった。福沢諭吉は翌日に有名な「脱亜」論を書くのである。

 安重根は歴史に登場するのが遅すぎの感が否めません。

 
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by masaya1967.7 | 2009-10-25 15:16

錯綜する「アジア共同体」


 『毎日』ではアメリカをアジア共同体に入れると言っていたはずなのですが、『産経』では松野頼久副官房長官が次のように語っています。

 「ASEANを含む東アジア諸国は中核であり、米国の関与は極めて重要であると考える」

 「これまで首相はどの枠組みでどの国を入れる、とは話していない。(今回も)言及は正直、ないと思っている。将来的にそういう構想をやっていきたいと述べると推察される」

 だんだん『羅生門』みたいになってきました。
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by masaya1967.7 | 2009-10-24 20:06

もう終わってしまった「アジア共同体」


 毎日jpによると

 「鳩山由紀夫首相は24日にタイ中部のフアヒンで開かれる東南アジア諸国連合(ASEAN)との首脳会議など一連の会合で、自らが提唱する東アジア共同体構想に関して、米国の参加を求める考えを表明する。松野頼久官房副長官がバンコクに向かう政府専用機内で、同行記者団に明らかにした。」

 鳩山首相は、アジア共同体にアメリカを加えるそうである。アジアとアメリカは利害が違う部分があるからアジア共同体を作るのではなかったか。かれは自分の書いた論文でアメリカの過剰な政治的介入をアジア諸国が嫌がっていると書いていたはずだった。

 タイのアシピット首相は『朝日新聞』のインタビューで「米国はアジアではない。米国も加わるアジア太平洋経済協力会議(APEC)の枠組みもある」と答え、朝日の記者は「米国の関与を歓迎しつつ共同体構想の対象外との考えを明確にした」と書いています。

 一方、アジアで「米国抜き」の構想を恐れたアメリカは、APECをアジアにおける多国間枠組みの中心に置こうとして、国務省のカートン・トンは「米国が参加するAPECこそが、最良で、最も確立された仕組みだ」と語っています。

 アジア共同体にアメリカを入れる事とAPECをそのまま使う事とどこが違うのだろうか。

 アシピット首相は「アジアとの関係強化を打ち出したことは大変喜ばしい。東アジア首脳会談などで日本の積極的な関与を楽しみにしている」とも語っているのに、これが幻滅に終わるのは確実だろう。
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by masaya1967.7 | 2009-10-24 15:14

 ゲーツ国防長官


 石原莞爾は東亜連盟という構想を打ち出した。その内容は

 1 国防 白人の侵略に対して東亜の天地を守る。このためにも満州国は必要である

 2 政治 日満支は各々その国の特徴によって政治は独立し、内政に干渉しない。

 3 経済 共存共栄を目的として、その一体化を図る。

 4 文化 日支両国民族が互いにその文化を尊重し、道義を中心とする東洋新文化を想像し、さらに西洋文明をも総合して人類最高の文明を完成する。

 満州国を除いては鳩山首相の主張とかなり一致することがある。当然アメリカは嫌がるだろうと思う。

 私はアメリカが日本をアジア主義に走らせないために、日本に少し位は譲歩するのではないかと思っていた。しかし来日したゲーツ国防長官は強硬だった。鳥越俊太郎はテレビで植民地に対する扱いだと怒っていた。

 ここでアメリカの言うとおりにすれば、以前の自民党政権のような事になってしまう。鳩山首相はどうするのだろう。いきなり正念場にたたされたような感じである。今のところ基地問題を先延ばしにするようである。

P.S この問題をさっそく『朝鮮日報』がとりあげています。

 「日本の外務省関係者は、『公の場で脅迫したにほかならない』『民主党政権を手なずけようとしている』と述べるなど、当惑した表情を隠し切れなかった。読売新聞は『日米同盟が一挙に緊迫している』と報じ、朝日新聞は『鳩山政権に対するゼロ回答だった』と評した。米国側の姿勢を、交渉の余地を全く残さない圧迫ととらえたものだ。」

 この新聞は日本についてよく見ているな、とたびたび感心させられることがあります。
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by masaya1967.7 | 2009-10-23 15:26

日本の借金


 『朝鮮日報』に次のような記事が載っていました。

 「経済協力開発機構(OECD)によると、2009年の日本の国内総生産(GDP)に対する国家債務比率は187%と予想され、近いうちに200%に達するとみられるという。日本のGDPは昨年約4兆3000億ドル(現在のレートで約391兆円、以下同じ)だった。今年は国の借金が10兆ドル(約909兆円)に達する可能性があるというわけだ。これはイギリス(約2兆2000億ドル=約200兆円)、フランス(2兆1000億ドル=約191兆円)、ドイツ(2兆9000億ドル=約264兆円)の08年GDPを合計したものより多い。一部では、「日本がデフォルト(債務不履行)の危機に陥るか、通貨価値が崩壊する」との説まで出ている、と米紙ニューヨーク・タイムズが20日報じた。」

 確かに、日本の借金は巨大である事は間違いない。本当に日本はこのような巨大な借金を返済できるか不安になってくる。

 ところが、第2次大戦後のイギリスの借金はGDP比で240%もあったらしい。この数字はどこかの本で読んだ事は間違いないのだが、どの本か忘れてしまった。しかし、この数字だけは何故か頭から離れなかった。

 第2次大戦後のイギリスは戦勝国のくせに非常に貧しかったと聞いた事がある。それでもドイツが第一次大戦後に陥ったような超インフレにはならなかった。

 さらに、チャーチルをついだアスキスがやったことは社会保障の充実だった。これはこれからの日本の政策を示唆している。

 いずれにしろ、日本の政策を占うのに第2次大戦後のイギリスが参考になることは間違いない。詳しい分析を経済学者に期待したい。
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by masaya1967.7 | 2009-10-22 21:06

岸信介と蒋介石

 
 日本が戦争に負けた後、石原莞爾は東京裁判の出張所である酒田臨時法廷に証人喚問されることになった。そこで石原は日本がとるべきだった戦略を説いてます。

 「とくにサイパンの防御には万全を期し、この拠点は断じて確保する。日本が真にサイパンの防衛に万全を期していたら、米軍の侵入を防ぐ事が出来た。米軍はサイパンを奪取できなければ、日本本土爆撃は困難であった。それゆえサイパンさえ守り抜いていたら、レイテを守り、当然五分五分の持久戦で断じて負けていない。蒋介石がその態度を明確にしたのは、サイパンが陥落してからである。サイパンさえ守り得たなら、日本は東亜の内乱を政治的に解決し、シナに心から謝罪して支那事変を解決し、次に民族の結合力を利用して、東亜一丸となる事ができたであろう。」(『板垣征四郎と石原莞爾』240頁。

 福井雄三氏は石原莞爾が日本防衛の拠点はサイパンにあると早くから着眼していたと書いています。ところが、軍人でもないのにサイパンが日本にとって重要だと認識していた人がいました。それは岸信介でした。彼はサイパンが陥落した時に日本がアメリカに勝つ事は無くなったと考えたのでしょう、彼は東条内閣の倒閣を狙い、それを見事に達成しているのです。考えても見てください、日本が激しく空爆されている時に敗戦を実感することはそんなに難しくないと思われるのですが、一つの島が落ちた事で日本の敗戦を予想し、東条内閣を倒そうと考える事はそんなに簡単にできることではないと思うのです。さすがに岸は仲間からカミソリと呼ばれるだけのことはありました。故高坂正嶤氏は岸の事を「合理的な国家主義者」と呼んでいました。

 一方、石原莞爾の証言が正しいのだとすれば、サイパンが落ちた時点で日本の敗戦を予想した蒋介石の戦略眼もさすがなものだといわなければならないでしょう。蒋介石は早くから日本よりも中国共産党の方が脅威だと説いてきた合理主義者です。ところが彼の意志に反して結局は日中は戦争になってしまいました。もちろん日本の軍部が北支に手を出そうとしたのも戦争になった一員ですが、その当時の中国都市住民の「日本と戦え」というナショナリズムに抗する事が出来なかったことが最大の要因です。1920年代の中国は「愛国無罪」だったのです。

 一方、岸信介も戦後総理大臣にまで駆け上りますが、安保改定で挫折します。改正されるまでの安保は日本に騒乱が起こればアメリカが鎮圧する事が出来るという無茶苦茶な内容で、これを改正する事は全く正しい事だったのですが、反対のデモに遭遇したのです。これらの左翼デモの中身は反米ナショナリズムで、いくら改正してもアメリカの植民地にある事には変わりがないから改正するなという無茶な要求でした。結局岸は日本の反米ナショナリズムの犠牲になったのでした。

 サイパンの陥落を日本の敗戦と素早く判断できた合理主義者がナショナリズムの犠牲になったのは、政治というものが合理性だけで処理できない証左でしょう。
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by masaya1967.7 | 2009-10-21 14:56

外交官石井菊次郎の中国分析

 
 福井雄三著『板垣征四郎と石原莞爾』という本を読んでいたら、著者が戦前の外交官石井菊次郎の中国に対する分析を載せていました。それがとても興味深くて、今回それについて感想を書いてみたいと思います。ちなみに石井菊次郎はアメリカとの石井-ランシング協定を結んだことで有名です。

 「シナの歴史のこの恐ろしい悲劇的な一頁が教える教訓とは何なのか。簡単に言えばこういう事だ。つまりシナは外国人の邪悪な点だけを指摘して、自分自身の間違いは何一つ認めようとしなかったのである。シナは自分自身を世界に冠絶した国家であると考え、あらゆる非難を列強諸国に向け、自分自身を何一つ責めようとしなかった。このような態度の中に、日本のそれとは異なるシナの特異な国民性を探る糸口がみつかる。
 日本が開国して間もない頃に外国の侵入勢力とぶつかった経緯は、現在のシナのそれと全く同じである。我が日本の無防備な海岸は外国の戦艦に砲撃された。不平等条約が日本に押し付けられた。治外法権の恥辱の烙印がわれわれにおされ、日本は関税自主権を失った。日本が管轄している国土の中に、外国の租界が作られた。
 このような状況を打開する為に日本はいかなる方法をとったか。答えはただひとこと、自己検証である。日本は自分自身の欠点を認めた。日本は決して排外運動を煽り立てたりしなかった。シナの義和団事変に相当するようなものは、日本では何一つ起きなかった。」(73頁)

 私はこの分析に半分賛成で半分反対である。確かに明治維新以後日本がとった行動は石井の主張する通りだった。しかしそれだけでは日本が領事裁判権や関税自主権を欧米諸国に放棄させる事にはならなかったのである。日本は1907年の日露新通商航海条約ではじめて関税自主権を獲得した。そして米国との間でも日米通商航海条約が新たに結ばれたのである。これは何を意味するのだろうか。

 読者にはもうお分かりだろう。日本が日露戦争に勝利たことで欧米諸国ははじめて条約改正に同意してくれたのである。議会や憲法などの国内改革だけでは不十分だったのである。

 同じような事は中国にも言える。中国が欧米諸国に不平等条約を改正してもらう為には、その実力を世界に認めさせる必要があったのである。そこで相手に選ばれたのが日本だった。これが戦前の日中関係の悲劇につながったのである。中国共産党が対日戦争勝利にこだわるのは、共産党の正統性を誇示するためであろうが、今言ったような事の側面があるものと思われる。
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by masaya1967.7 | 2009-10-20 15:14