つい最近出版された木村汎教授の本『現代ロシア国家論』を読みました。その中に北方領土に対するロシアの戦略が書かれています。
「気の短い日本人がしびれをきらして北方4島の返還要求を断念することをロシアは気長に待つ。これこそが、ソ連時代を含めてロシアの全政権に共通する戦略といえよう。……現在のロシアについていえば、日露間の領土論争を『2島だけの返還』で決着させて平和条約を結ぶ。これがプーチン単独政権、そしてメドベージェフ-プーチンの単独政権の対日外交戦術である」 木村教授の説を裏付けるように、今日の『朝日新聞』でメドベージェフ首相は、「極端な立場を離れることだけが成功への道だ。鳩山新首相にもそう提案する」と語っているそうです。 そして、例の鈴木宗男議員は7/22に鳩山由紀夫と会談し、民主党政発足後半年以内に解決の道筋をつけることで合意し「北方領土問題は、鳩山政権で解決できなければ、未来永劫チャンスはないと思っています」と語っています。 鈴木議員のこの言論には全く根拠がありません。もちろん木村教授も鈴木議員のやり方には否定的です。今日から発足する鳩山政権がこの鈴木議員の言葉にのせられてロシアとの外交をすすめると、日本国内で問題になる事は必至です。 そもそもロシアとの外交において時間の経過は日本に不利に働くのでしょうか。実は現在ロシアにおいて極東の危機が進行中です。それは、もし現在の人口減少が続けば、「極東」は廃墟と化すか、事実上中国の勢力圏にとりこまれてゆくか、いずれかの道しか残されてないことです。 木村教授の本には「シベリアと極東の近代化のための重要なパートナーとして、ロシアは日本を当てにすべきである。日本はこれらの地域でドイツやEUがロシアの西部地域で果たした役割を演じる事ができるのである」という一研究者の言葉を引用しています。同じような意味でジョージ・フリードマンも『次の100年』という本で2020年頃には、maritime Russiaは日本の影響下にあるだろうという予測をたてています。 これらの事を示す兆候はロシアの極東部では起きています。そこでは日本の中古車が人気だったのですが、プーチン-メドベージェフは自国の自動車産業を保護するためか、関税を高くしたり、右ハンドルの車を禁止しようとしたあげくにデモが発生したのです。私は今までモスクワなどでデモがあったのは知っていたが、極東部でおこったことはあまり聞いた事が無かった。さらにロシアが日本の中古車に高関税をかけようとする事に対して、文句をいう日本の政治家がいないのも驚きである。日本にとっての利益は、ロシア極東部の住人とモスクワとの矛盾を拡大する事であるにもかかわらず。 いずれにせよ、時間が経過する事はロシアよりも日本の方が有利なのである。ところで、せっかく日本において4島返還というコンセンサスが出来たのにも関わらず、鈴木宗男議員のように段階的返還論などに譲歩する日本人がたまに現れてくる理由は何であろうか。木村教授は日本人の「短気」のせいにしておられるが、私は日本人が長時間の「緊張」に耐えられない性癖にあると思っている。 #
by masaya1967.7
| 2009-09-16 10:07
ここのところ、北方領土問題について書いているのですが、河野一郎という政治家についてふれたので、少し河野家について書いてみようと思います。
皆さんも知っているように、河野一郎の息子は衆議院議長を務めた河野洋平です。彼は河野談話と言うもので、はっきりと事実かどうか確かめないで韓国に対して従軍慰安婦の問題を認めました。それがアメリカに飛び火して、安倍首相がブッシュ大統領に謝罪をした事は記憶に新しいことです。 今でも、はっきり覚えていますが、フジテレビの『報道2001』で黒岩キャスターが、官憲によって一般婦女子がさらわれたどうかは事実かどうか質したのに対し、日系のアメリカ人議員は河野談話で日本が認めたのではないかと主張していました。それがセックス・スレーブという、えげつない言葉になり、世界に伝播してしまったのでした。河野洋平の責任は思いといわなければなりません。 河野一郎はソビエトに国後と択捉を譲ろうとし、韓国に対しては竹島の問題を棚上げにしました。日本の「領土」を簡単に売ろうとしたのです。一方、息子の洋平は河野談話というもので日本の「名誉」を売ってしまったのです。 さて、河野洋平には太郎という息子がいます。彼は臓器移植法の成立に貢献するなどして、現在の自民党総裁候補に挙がるかもしれないとマスコミは述べています。私も彼は優秀な政治家と思いますが、一方で彼の「売国」の家系が心配なのです。 確かに「家系」など科学的根拠はそんなに無いかもしれませんが、鳩山家を見る限り「迷信」などと笑ってもいられないのです。皆さんも河野太郎を厳しく観察してください。 #
by masaya1967.7
| 2009-09-14 12:15
鳩山一郎と河野一郎がソビエトに対して国後と択捉を譲渡して得ようとしたものは、高坂正嶤氏が言うように日本外交の「自主性」であったが、もっと現実的な問題を含んでいた。それは「利権」の問題であった。特に河野一郎は、農林水産大臣であり、北洋漁業の業界とは深い関わりをもっていた。北洋漁業は日ソ親善運動の中核でもあり金づるでもあった。それが河野をして日ソ問題にかかわらせたのである。
また、河野一郎は韓国との竹島問題でも重要な役割を果たすのである。『竹島密約』でロー・ダニエルは次のように書いている。 「領土問題の交渉を秘密裏に行い、その解決を棚上げしようと決めた事は、史上まれな出来事であるといえよう。さらにまれな事は、主に農林水産や建設畑を歩んだ河野一郎という政治家が裏のまとめ役をつとめたことである」 さて、韓国との竹島問題でも、日本の政治家の関心は領土問題よりも漁業問題であった。外務審議官の牛場信彦は「漁業問題を解決するために正常化しなければならないという空気が一番強かった」と語っている。 とくに重要なのは、河野一郎が「竹島は国交が正常化すれば、たがいにあげようとしても貰わないくらいの島」といっていることである。ここで疑問に思うのは日本の政治家、特に党人派の政治家は領土問題を軽視しがちなのではないかという問題である 鈴木宗男氏もせっかく日本で4島一括返還というコンセンサスが出来た後に、一方的に段階的返還に後退している。鈴木議員は社民党の辻本議員から「利権の総合商社」と呼ばれていたから、それを気にせずにはいられないのだ。 ちなみに片岡鉄哉先生が河野一郎について次のように描写しているのは、鈴木宗男議員との比較で非常に興味深い。 「彼は田中角栄に似て、身体は小さかったがエネルギーの固まりのような男だった。おしゃべりで、頭の回りと合点がはやい。友人には厚く敵には恐れられた。野次の名人でもあった。彼がだみ声でうまく野次ると、相手は度肝をぬかれて二の句がつげなくなることがあった」 あまりにも瓜二つである、だから彼の北方領土に対する手法は危険なのである。 #
by masaya1967.7
| 2009-09-12 10:59
1955年、鳩山内閣は日ソ交渉についてアメリカ政府の意向を問いただした。帰ってきた返事は1,米国政府は、吉田のサンフランシスコで南千島(4島)に対する日本の権利を保留したという理解はしていない。2,千島列島の境界線は不確定である。3,日本政府は独自の判断で領土問題を決着されたし,というのである。 これはあまりにも当然な返事であるが、一方自民党内は2島返還で決着するべきか、4島返還まで持っていくべきかコンセンサスは得られなかった。これを打開しようとしたのが河野一郎代議士であった。(河野太郎の祖父、河野洋平の父) 「河野はクレムリン宮殿でニコライ・ブルガーニン首相と単独で会見し、講和交渉の再開を約して、漁業暫定協定を結んで帰国する。得意満面で帰国した河野には、意外な非難と中傷が待っていた。彼が国後と択捉を放棄する秘密の約束をしてきたのであった。出所はもちろん吉田派である。河野は強く否定したが、どうも噂の方に信憑性があるようである。」(片岡鉄哉『さらば吉田茂』) 結局は、河野一郎のソビエト訪問でも決着はつかず、自民党内部では2島か4島で意見が統一されないでいた。そんな時に、アメリカのダレス国務長官から重光主席全権に対して衝撃的な内容のステートメントがもたらされたのである。それによればもし日本政府が国後と択捉をソ連に譲渡すれば、それはサンフランシスコ条約第26条に違反する事になる。すなわち日本が国後と択捉をソビエトに譲渡すれば、米国はそれに見合ったものとして沖縄と小笠原諸島の譲渡を要求する権利があるというのである。これで2島返還は完全にアウトになってしまうのである。 アメリカは、最初日本の領土は日本人自身が決めていいと言っていたはずなのに、日本がソ連に譲歩しそうになると梯子をはずしたのである。アングロ・サクソンの戦略家は、千島列島の範囲を曖昧にしておけば日ソの友好を妨害する事が出来ると考えていたが、それが2009年現在も続いているのは驚きだろう。また梯子を外された鳩山一郎はアメリカに対して恨み骨髄であっても不思議ではない。(彼は戦前軍部と戦っていたにもかかわらず、アメリカからパージされているのだ。)孫の由起夫がアメリカに対して全幅の信頼を置けないのは鳩山家にはこのような歴史があるからである。 さて私は北方領土の問題で鈴木宗男氏を批判している櫻井よしこさんの方を支持するものであるが、櫻井さんはこの時のアメリカの介入をどのように考えているのだろう。まさか、アメリカの介入が無ければ日本はソビエトに2島で譲歩したかもしれないので、アメリカが正しかったとは思っておられないとは思うのだが。 日本がその時にソビエトと国交回復を成し遂げていたならば得られたのは日本の外交の「自主性」であった。高坂正嶤氏は『宰相吉田茂』で「ソ連との国交を回復しても貿易などの具体的な利益は得られなかったであろう。しかし、それは日本外交の行動の自由を拡大することにおいて、きわめて重要な動きであったのである。それを吉田茂ほどの政治家が見抜けなかったのはある意味で不思議でさえある。」と書いています。 そしてアングロ・サクソンの戦略家達及びキッシンジャーが冷戦中に日本に与えたくなかったものが、日本の自主性なのであった。 #
by masaya1967.7
| 2009-09-11 06:14
今月号の『正論』に櫻井よしこさんが北方領土問題について書いています。彼女が書いたことについて鈴木宗男議員が配達証明などの文句をつけているそうです。
「いま、4島返還論の側に立つかのような印象を与える鈴木宗男氏は『4島一括返還』という言葉自体を『時計の針を逆に回すもの』と批判した。いわゆる段階的返還論を論ずる事で、鈴木氏もまた、日本側が2島返還でとりあえず問題の決着をはかる用意があるような印象をロシア側に与えたのであり、責任は重大だ」 これに対して鈴木宗男氏は「4島返還という政府方針から、逸脱して交渉した事はありません」と答えているらしい。 ここで私は北方領土問題を整理してみたい。実はこの問題がややこしくなったのは、鳩山一郎内閣時代にアメリカの介入がなかったら日本とソ連は2島返還で手を打っいた可能性があるからである。それが証拠に鳩山由紀夫が総理になる事がきまった時、ロシアはおじいちゃんが決めたようにしようねと、誘い水をかけているからです。 1951年の時点で当時の吉田茂総理は「千島南部の2島、択捉、国後両島が日本領である事については、帝政ロシアもなんらの意義をさしはさまなかったのであります」と外務官僚出身らしく正確に認識しています。 一方、講和条約を用意していたアメリカでは、日本に放棄させた千島列島の境界線をはっきり定義しないでおいたのである。これはどういう意味があるのだろうか。孫崎享氏は『日米同盟の正体』のなかで元駐ロシア大使の丹波氏の本から「1951年対日平和条約において、日本に千島列島を放棄させるがこの放棄させる千島列島の範囲を曖昧にしておけば、この範囲を巡って日本とソ連は永遠に争う事になり…」と引用している。 また孫崎氏はマイケル・シャラーの本からも「千島列島に対するソ連の主張に意義を唱える事で、米国政府は日本とソ連の対立をかきたてようとした。実際既に1947年にケナンとそのスタッフは領土問題を呼び起こす事の利点について議論している。うまくいけば、北方領土についての争いが何年間も日ソ関係を険悪なものにするかもしれないと考えた」と引用しています。(『日米同盟の正体』79頁) 残念ながら、日本は彼らアングロ・サクソン戦略家達の術中にもろにはまるのでした。 続く #
by masaya1967.7
| 2009-09-10 07:31
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