『暗闘』を読んで思った事。


 長谷川毅氏の書いた『暗闘』は大東亜戦争の最終段階を描いた力作です。日本が連合国に降伏する過程で最も重要なことがらは、広島、長崎に落とされた原爆ではなく、中立条約を破って参戦したソ連によってもたされたものであった、と述べています。私はそれについて異論はありませんが、他の事について興味があります。

 スティムソン陸軍長官やグルー国務次官がポツダム宣言に日本が皇室を維持できる事を盛り込むべきだと主張しましたが、トルーマン大統領は彼らの意見を拒否します。長谷川教授はその理由を「トルーマンがこの条項を拒否した動機にはもう一つの隠された理由があった。トルーマンは立憲君主制を約束しない無条件降伏の要求は、かならず日本によって拒否される事を知っていた。原爆投下を正当化する為には、ポツダム宣言は拒否されなければならなかった。そのためには、すでに拒否されるとわかっていた無条件降伏を要求することが必要だったのである」と書いています。

 私はこの解釈を初めて知ったのは鳥居民さんの『原爆を投下させるまで日本を降伏させるな』を読んだ時でした。トルーマンは日本に何が何でも原爆を落としたかったので、日本が受諾できないように立憲君主制を維持できる条項を外し、誰が見ても宣伝文書でしかない(外交文書の形式が全く整えられていなかった)ものを国務省ではなく、宣伝と広報を担当する戦時情報局に放送する事を指示したのである。スターリンなみの残酷さである。

 では、仮にポツダム宣言に立憲君主制を維持できる条項があれば、日本は原爆が落とされる前に降伏していたのだろうか。長谷川教授は否定的です。

 「この条項をポツダム宣言に含めていたなら日本はただちに降伏したであろうという議論は、あまりにも日本の政治過程を単純化しすぎている。神懸かり的な国体論を支持していた政策決定者達は、たとえこの条項が皇室の維持を意味したとしても、ポツダム宣言の条項を受け入れるのに抵抗したであろう。」

 一方、鳥居民さんは降伏可能であったと考えています。この2人の考え方の違いを探る為に、私の個人的な経験を話したいと思います。雑誌『文芸春秋』に「昭和天皇独白録」が掲載されたとき、確か、天皇はアメリカと戦わない選択肢は無かったのですかと聞かれて、その時はクーデターが起こったであろうと答えられていました。当時の私はそれを素直に受け取っていたのですが、鳥居民さんは、それは木戸内大臣と天皇の作り話だと主張されるのを読んで私はびっくりしたのです。

 昭和16年、アメリカの全面的な経済封鎖を解除させ、日米関係を正常化する為には、日本は中国からの撤兵を決断しなければならなかった。その時に木戸内大臣は「中国撤兵に反対する陸軍大臣(東条英機)に説得を繰り返し、その反対意見を翻意させようと努力した総理大臣、近衛文麿の側に立たねばならないはずであった。近衛が総辞職してしまったのであれば、その後10/17の重臣会議で閣内不統一から総辞職した近衛を重ねて推挙し第4次近衛内閣を作るべきであった。」(『近衛文麿「黙」して語らず』94頁。

 では何故木戸内大臣は、中国からの撤兵を推進しようとした近衛を支えなかったのだろうか。その理由を鳥居民さんは「中国の撤兵をアメリカに約束することになれば、中国と戦ってはいけないと主張した将官こそが正しかったのだと衆議院議員が語り、真崎甚三郎や小畑敏四郎といった2.26の結果現役を逐われた皇道派の将軍たちの再登場を望む声、それとは別にこれも現役を逐われた石原莞爾と多田駿の復活を期待する声が陸軍と国民の間におこることになる」と想像しています。

 ところが、木戸内大臣と天皇は2.26事件を鎮圧した側だったため、このような状態が起こる事は自分たちが行った事を間違いと認める事になる為に中国からの撤兵を主張する近衛を支持する事が出来なかったのである。そこで木戸は、アメリカと戦わなければクーデターになると、自分が鎮圧したクーデターに怯えるふりをしたのである。

 さて、もしポツダム宣言に立憲君主国を維持できいる条項があっても、長谷川教授の指摘した「神懸かり的な国体論を支持していた」者によって妨害され、下手をしたらクーデターにまでいたったのだろうか。ポツダム会談から1ヶ月後、天皇の玉音盤を奪い返そうと陸軍の一部がクーデターを起こした。『暗闘』にはそれをこう描写している。

 「3人のクーデター首謀者が自転車をこぎながら深夜の東京を横切っていたという光景はこの反乱の悲喜劇を象徴していた」

 
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by masaya1967.7 | 2009-10-08 01:06
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