出版社『草思社』のホーム・ページで歴史家鳥居民氏が高松宮殿下について書かれているのだが、これがとてもおもしろかったので少し感想を書いてみたい。
昭和天皇の弟君であられた高松宮は昭和16年突然海軍軍令部に配属された。この奇妙な人事の原因はいったいなんだったのか。さらに昭和16年11月30日に昭和天皇は高松宮と会談するが、高松宮殿下は日記にこのことを書かなかった。なぜ彼はこのような重大なことを日記に書かなかったのだろうか。 鳥居氏の仮説はこうである。高松宮はアメリカとの戦争に反対だったことは、状況証拠から伺い知れる。しかしながらわざわざ軍令部に配属させてまで天皇に進言するような立場に追い込んだのは、海軍上層部の意思無くしては不可能だっただろう。ではその海軍上層部とは誰だったのか。鳥居氏は次のように書いている。 『高松宮が保科から連合艦隊司令長官、山本五十六大将の極秘の書簡を受け取ったシーンであり、それを読み、保科の説明を聞き、高松宮はその書簡を火中に投じたあと、お上にただちに申し上げると長官にお伝え願いたいと約束をした光景である。』 なんとこの人事の背景には連合艦隊司令長官山本五十六がいたのである。 私が山本五十六についてすぐに頭に浮かぶのは、「対米戦となれば最初の2年間はあばれてみせますが、あとのことは知りません」という率直かついいかげんな説明だった。明治40年の帝国国防方針以来陸軍はソ連、海軍はアメリカを仮想敵にしたため、海軍はアメリカと戦って負けるとは口が裂けてもいえなかった。アメリカは中国からの撤退を日本に要求していたから、海軍がアメリカと戦えないと正直に言えばどうなるか。陸軍は海軍がアメリカと戦えないと言っているのだから渋々中国からの撤退をせざるを得なくなるのだが、その責任を全て海軍に押し付けていただろう。「海軍がアメリカと戦えないから、嫌々ながらアメリカの条件をのんで撤退するのだ」と。山本五十六ら海軍幹部はこの屈辱に耐えられなかったのである。そこではっきりとアメリカと戦っても勝つ見込みはありませんと正直には語れなかったのである。 結局山本五十六も「省益あって、国益なし」といわれるばりばりの官僚だったのである。
by masaya1967.7
| 2007-08-24 01:04
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