私はこれまで朝鮮半島が政治的に安定する為には、デタント(緊張緩和)しかないと思っていた。具体的に言えば、北朝鮮が核問題や拉致問題を解決して日・米と国交を結ぶのである。これで随分北東アジアは平和になるはずだと思っていたのだ。
北朝鮮が核実験を行った後で、金正日はアメリカのブッシュ大統領に対してアメリカと仲良くしたいと変な書簡を送ったと『産經新聞』がスクープを出したことがある。これを見て私は金正日外交の意味がようやくわかったのである。ドン・オーバードファー著『2つのコリア』の中に、金日成の外交を描写した箇所がある。 「1950年代半ば、ソ連と中国の間で共産主義の大分裂が起こると、金日成はそれにひどく悩ませながらも、中ソどうし角つきあわさせ自分の有利になるよう策した。61年7月、彼はモスクワに行き、ニキータ・フルシチョフに『友好協力相互援助条約』を結ぼうと説く。そして分裂の朝鮮半島でまた戦争が起きたら助けにきてほしいと懇願した。フルシチョフは金日成を反中国の仲間に引っ張ろうとしていた。合意ができると、金日成は中国に向かい中国指導者にモスクワと結んだ条約を示し、これに対応する条約をつくろうと持ちかける。中国指導者は応じ、朝ソ条約と同様の条約に署名したのである」26頁 このように金日成は中国とソ連を競争させて国家の生き残りを計ったのであるが、息子の金正日は父と同じことを米・中の間でやろうとしているのだ。金正日がアメリカと仲良くしたいと訴えれば、中国は不安に思うだろう。そこで中国は北朝鮮に寛大な援助を与えるといった具合である。 アメリカはヒラリー国務長官が小沢一郎にいったように北の核を完全に無くすことは無理だと思っている。アメリカがこのまま北朝鮮と国交を結ぶことになれば、金正日の戦略は完成するだろう。 残念ながら日本が望むような拉致問題や核問題の解決は遠のいたと判断せざるを得ない。では日本はどのような戦略をとれば良いのだろうか。北朝鮮が中国とアメリカを競わせるといったへんてこなゲームに日本は全く参加する必要はない。ただ拉致問題と核問題が解決しなければ日朝国交正常化はないと言い続ければよいのである。
by masaya1967.7
| 2009-02-19 00:09
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